2022年には何があったのか
ツイッターのログを頼りに今年一体何があったのか書き遺す。
1月
・2021年8月からの休職を終え職場に復帰。
2月
・1ミリも仕事する気が起きない。
・27歳になる。無為に歳を重ねることの厳しさを感じる。
・ロシア・ウクライナ開戦。無力感。
3月
・職場で3年目発表なるものを行う。労働をひたすら罵倒している。
4月
・雑に過ぎ去る日々。
5月
・GW中食事も排泄もせずにひたすら寝ていた。
・MRI検査、異常なし。
6月
・文字が書けない。記憶の混乱。
7月
・精神が崩壊し錯乱していた。
8月
・精神が崩壊し錯乱していた。
9月
・精神が崩壊し錯乱していた。
10月
・救急車を呼ばれる。
・休職する。
11月
・閉鎖病棟に入院する。
12月
・閉鎖病棟から退院する。
…
呪われてるのかな。来年早々、神社に参詣して除災招福の祈祷してもらいます。
2023年は平和な一年になりますように…
遮光器土偶=新生児
どうも。会社内でぶっ倒れを繰り返して停職しているものです。
労働サボれる!休暇満喫ゥ!というテンションにはならず、身体の調子と内なる幻覚と戦っています。
本題ですが、「遮光器土偶=新生児」説についてお話したいと思います。
「説」といいながら根拠のない単なる思い付きですが。
さて、事の発端はNHK札幌が北海道の縄文遺跡群が世界遺産に登録されたとのことでAR遮光器土偶なるものがインターネットで公開されていたことです。
二番目のリンクを踏んで、ぼくはひたすら土偶をくりくり回していました。
土偶=「女性が自分から見た自分の姿を粘土でこねて作った」という説を小耳にはさんだことがあったからです。詳しくはヴィレンドルフのヴィーナスで検索してね。
ヴィレンドルフのヴィーナスの話をまとめると以下のような感じ。
しかし遮光器土偶にはいまいち女性観がない。何より豊穣のモチーフである乳房と妊娠のがイメージがどこから見ても沸いてこない。
これはいったい何だろうと考えているうちにある一つの仮説にたどり着きました。それは、この土偶は新生児を表しているということです。ぼくがこの考えに至ったきっかけは遮光器部分にあります。自分で自分の目は見えないが他の人と同じような形だろう、あるいは水面を鏡にしてなんとなくこんな形だろうというのがあるはずです。しかしこの土偶の目はふつうの人の目とは異なる一見異様な形をしています。
一体だれの目かを考えたときに、新生児がフと頭をよぎりました。実際に見比べてみましょう。
泣いている赤ちゃん、眠っている赤ちゃん、全員目を閉じていて、目の周りの輪郭がはっきりしていて、まるで遮光器土偶のように見えませんか?
はじめに挙げた遮光器土偶の等身をみてください。土偶は、とても大人とは思えない低等身ですが子供の等身なら納得できるのではないでしょうか。
そして極めつけは腕・手・もも・足の形状です。遮光器土偶ではおおきな腕、おおきな足に小さく手足指が生えていますね。遮光器土偶と比べてみましょう。
どうでしょうか、赤ちゃんの腕、ももはパンパンに腫れ上がっていて手足指は小さく見えませんか。
遮光器土偶の股の部分ふきんには小さい穴が開いています。これはヘソの尾を切り取られたヘソなのでは。
とすると土偶の装飾の意味するとことは赤ちゃんが誕生したときに何か宝玉を巻く儀式があったのではないか。
など
いろいろ考えております。
真相は遠い過去、でもそのときに作られたもの・作った人の気持ちを想像することが非常に面白く興味深い。
Bussiness礼讃
「また,語源辞典(Online Etymology Dictionary)によれば,9世紀頃ノーサンブリ
ア(Northumbria)は,アングル人の王国(アングロサクソン人が築いた7王国のうち
最北,現在のノーサンバランドにあった)であるとされるが,そこにおけるノーサンブリアン語の"bisignisse" は,Care(注意)anxiety(心配)の意となっている。また,
"bisig" は,careful(注意 の),anxious(心配な),busy(忙しい),occupied(専念した)の意味あるとなっている。
"business" が,work(仕事),occupation(職業)の意とした最初の出現は,1387
年とある。また,businessに,trade(取引),commercial engagements(商事)の
意が加わって用いられたのは,1727年のこととされている。
なお,"busy" については,Online Etymology Dictionaryでは,上記にある "bisig" の「慎重で,心配して,忙しく,占領された」からきている。i-から u-へのスペルが移行した何らかの不明瞭な理由で 15世紀にあらわれている。また,この busyは 17世紀に "sexually active"(性的な行動)の婉曲語として使用されている。電話回線には,1893年に用いられている。時々「"prying, meddlesome,"(詮索好きで,おせっかい)の感覚で busybody(おせっかい屋)の使用も 1526年に見られる。Busy work(忙しい仕事,(時間つぶしの)仕事)の最初は,1910年に記録あり,となっている。」
http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/323/1/KEIEI-7-2-5.pdf
引用 北海学園大学経営論集, 7(2): 113-131
この文献がどこまで信頼できるものなのかはかわからないが、ビジネス、ビジネス、ビジネスと連呼して、ビジネス書を読み漁り、「これがビジネスだ!」といって己のビジネス像を他人に押し付けるのはやめろ。ましてや史的文脈から己に都合のいい一部を切り抜いて「歴史的にもこれこそ正しいビジネスだ!」というの輩は下の下。お前は正しくない。お前はビジネス界屈指の愚か者だ。
ひとつのことば、単語には複数の意味が対応している。単語と意味は一対一対応ではない。上に挙げられている分だけでもbussinessには色々な意味が込められてきた。一番はじめは「注意」だ。ビジネスということばを使うとき、一番始めに注意をしろ。
ビジネスを語るとき、語る前に十分に、十分すぎる以上に、まず注意をしろ。なぜか?ビジネスにつきまとうのは「心配」「忙しさ」「専念」「仕事」「取引」「商事」「慎重」「占領」「性的な行動」「おせっかい」「忙しい仕事」「時間つぶしの仕事」それ以上も以下も色々な意味がつきまとう。ビジネスが社会の中心にいる時代である現代においては、なおさら膨大な意味がつきまとうだろう。
ぼくは上に「」書きした諸概念から解放されたい。だからこそbussinessを尊び、礼讃し、高みに置き、遠ざけるのだ。bussinessに不用意に近づかない。
あなたは上で「」書きした諸概念を賢者が好むと思うか?それらは、愚か者が好みそうなことだとは思わないか?
持続可能な社会に向けた取り組みがビジネスとして成り立つとき
持続可能な社会に向けた取り組みが各社でなされている。かく言う私もそうしたプロジェクトに関わる一員である。私は炭素循環型社会を実現するための研究開発を仕事として行っているが、いつも疑問に思っていることは誰が持続可能な社会を望んでいるのかということである。
社会を最小の単位まで分解すると、それを構成する個々人に行きつく。一人の人間が最も強く望むのは自己の持続可能性である。それというのも平均的な人が基本的に望むこと…食事・睡眠・異性…いわゆる三大欲求である…これらは全て自己保存に関わる欲求である。まずこれらを満たした後、家族や民族の持続可能性を考えることができる。逆を言うと自己の持続可能性が担保されない限り他者の持続可能性を配慮する余裕はない。
持続可能性の欲求は自己から順に身近な集団へと広がってゆく…
個々人の持続可能性が十分に行き渡ったとき始めて社会の、人類の持続可能性が欲求される。主題に戻るが、持続可能な社会がビジネスとして成り立つとき、それは全ての人の明日が、少し先の未来が担保されたときなのだ…
一方で今日、自分の明日を不安に思う人は日に日に増えている…これは感染症の流行による一時的なものなのだろうか?あるいは現代社会の構造が抱える病によるものなのだろうか…?そんな世の中で持続可能な社会に向けたビジネスが成り立つ日は来るのだろうか…
少々悲観的な見方になってしまったが、このビジネスの成立性には希望もある。
社会がこのままであれば少数の富める者と多数の貧しき者の構図は変わらないだろう。富める者は自己の持続可能性を確立しているといえる。富める彼らが人類社会全体を考え、持続可能な社会に向けたビジネスに出資することは大いに考えられる。事実、ビル・ゲイツやジェフ・ベゾスなど名の知られた富豪は経営を退き慈善活動に軸足を移している。これは彼らの未来がほぼ完全に保証されているからだ。彼らには他者に、社会に、人類に配慮する余裕がある。そうした人を顧客としたとき、持続可能な社会に向けたビジネスは成立する…
個人としては、誰もが人類の未来を真剣に考えられるような、誰もが少し先の未来が保証されているような社会で、誰もが望む人類の未来のための仕事をしたいものである…。
上で述べた一連のことは自分の中での一種の思い込み・先入観が形になって生まれた怪文書である。これは皆さまの共感ではなく強い反感を望んでいる。
↑会社のブログ的なやつに投稿しようとして思いとどまった怪文書。なんか英語学習についてのクソ記事が一番上に鎮座していたので恥の上塗りということで別のクソ記事を書いてみた。
英語学習の方法
日本語でも話が通じないで困っているのに英語を勉強するとは…
しかし、異言語に触れることは思考形態を増やすことにつながり、精神的に豊かになることができるかもしれない。また、職場で実際英語を使えず悔しい思いをしているし(日本語を使えず悔しい思いをしていることが多いが…)、昨今・これからの翻訳ソフトウェアの著しい台頭を鑑みてもやはり英語を勉強するのには十分な価値があるだろう。
ぼくの英語力について紹介すると2017年のTOEICで895、その後2019年のTOEIC-ipで835である。ほとんど対策していないブランク期間と鬱病を差し引くと、よくこの下げ幅で抑えられたなと我ながら感心する。
2016年、TOEICで自己最高点を獲得したときの勉強量としてはPart1~Part7の対策本を一周やって、過去問を5問解いた。タイトルにも上げた学習の方法だが、実はこの時はそんな方法論など全く意識していなかった。全て雰囲気でだらだらと解いた。試験本番でも(多分こんなこと言ってる・書いてるんだろうなあ)と雰囲気でマークした。勉強法について意識したことがないのである。しかし、今は加齢や病気で脳活動が鈍っていることもあり、時間も限られていることだし、やはり効率のよい方法で学習したいという気持ちがある。
そこでネットに転がっている英語学習方法の記事をいくつか読んでみたが、今まで全て雰囲気でやってきたせいか、どれも面倒そうでいまいちピンとこない。雰囲気でやってきた、そしてこれからも雰囲気でやっていく男としては、自分の雰囲気を作って学習したい。そう思い自分なりの英語学習法について雰囲気でぼんやりと考えていたがよううやく考えがなんとなくまとまったので、ここにキッチリと文章で示しておこうという気になった。雰囲気からキッチリとした文章の変換は自分の考えを明晰にする。そうした訓練も積んでおいて損はないだろう。
さて、ぼくが今後行う英語の学習の方法について話す。
最優先事項をズバリ言うと動詞の学習である。
なぜ動詞か?
突然だがwikipediaから一節を引用する。
"ソシュールは、言語(language ランガージ)には、ラング(langue)とパロール(parole)という二つの側面があると考えた。ラングとは、ある言語社会の成員が共有する音声・語彙・文法の規則の総体(記号体系)である。それに対して、パロールは、ラングが具体的に個人によって使用された実体である。そして、パロールは、個人・場面によって異なり、言いよどみ、言い誤りなども含むことから、ソシュールは、言語学の研究はラングを対象とすべきであるとした。"
今僕が学習しようとしているのはラングである。つまり英語の音声・語彙・文法の規則の総体(記号体系)を習熟しようとしている。そして、ぼくが動詞の学習を第一要項に挙げたのは、英語の記号体系の習熟に最も重要な役割を果たすものが動詞であると考えたからである。
普通学校で習う英語では英語は次の8品詞からなる。すなわち、名詞・代名詞・形容詞・動詞・副詞・接続詞・前置詞・感投詞である。
ちなみにOxford English Dictionary によると収録語彙の半分以上が名詞で、1/4程度が形容詞、1/7が動詞で残りが副詞・接続詞・前置詞・感投詞などらしい。これら8品詞が英語という記号体系の中でどのような役割を果たしているのかを考えた図を以下に示す。
図の解説をしよう。この記号体系は点と点を繋ぐネットワーク状の構造をしている。図の点に当たるのが名詞である。対象を指し示す品詞だ。対象が無ければ言語は始まらない。まさに言語の主役だろう。語彙が最も多いのも頷ける。
そして、それらを繋ぐノードが動詞であると考えた。 この記号体系の習得に最も重要なことは、点を知ることではない。点と点がどのような形でつながっていくのか、そのつながり方である。つながり方とは何か、文法である。SV・SVO・SVOO・SVC・SVOCの五文型をご存じなら、V(動詞)がまさに文法上の主役であることは了解できると思う。S・O・Cは実に様々な品詞をとることができるがVはverbのみである。
このように構築される名詞と動詞を中心としたネットワークの修飾・補助をするのが残りの品詞である。
英語の学習において動詞に力点をおくのは、このように動詞がネットワーク上最も重要な点と点の「つながり方」の役割を果たしていると考えたからである。さらに補足すると、名詞・形容詞・副詞などは語彙数は多いが単語帳で比較的簡単に覚えられる。例えば「book=本」「beautiful=美しい」「carefully=注意深く」といった具合に日本語との対応関係が明確であることが多い。一方動詞ときたら事はそう単純ではない。例えば「search=探す」だけでは済まない。自動詞なのか、他動詞なのか、search for なのかsearch ofなのか、to不定詞とどう対応するかなど、明らかに情報量が他の品詞よりも多い。これが、動詞に力点を置く理由である。
以上のように動詞を中心にボキャブラリを増やしつつ、リスニングの教材の聞き取り、シャドーイングを行う。リスニングでは、まず一度理解した文章を自分のコトバで再発音することで言語ネットワークの構築力を向上させる。今までライティング・スピーキング系のタスクをほとんどこなしてこなかったので言語ネットワーク構築力が薄弱だと思われるのでリスニングの例文を支えとしながらそうした力を養う。また、その後音声を確実に聴き取るシャドーイングを行う。
雰囲気マンとしては珍しくかなり真面目な話をしすぎた。真面目な話を真面目な実行に移すのにまた大きな壁一枚がある。この記事を書くのに時間がかかったために今日は英語の勉強をしていない。
それでは。
幽霊社員
最近あまり仕事をしていない。いつか怒られるのだろうか。怒られたら、謝ろう。
昨年度は主に実験&実験内容まとめをやっていたが、コロナ禍での予算縮小と出勤制限によって、昨年までやっていたことができなくなっている。というわけで昨年度の続きとして関連分野の机上検討や書類作成を任されたりしているが、やる気が出ずあまり捗らない。
他のメンバーは色々と仕事をしているっぽいが、テレワークということで他の人たちがどのように仕事をしているのが見えないので正直よくわからない。自分の仕事も終わってないのに(突き詰めていけば終わりがない系の仕事)「仕事ください!」というのもなんだかなあと思い、ぼくは在宅用PCの前で時間が流れていく様子をぼーっと眺めている。次回の定例会は何を話そうか…。
今日は普段と比べて精神の調子が割と良く、朝から夕方まできちんとPCに向かい続けられたが、進捗は普段とあんまり変わらないように思われた。うーん。
明日は精神科に行く日だ。やる気バリバリになってガンガン仕事できるようになる薬を所望する。