恥の上塗り

久々にブログの方を覗いてみるとウンコ記事が堂々と一番上に鎮座していたので、とりあえず何か書いて隠しておくことにした。タイトルの通り結局同じことかもしれないが…

最近は就活の調子がすこぶる悪いものの不思議と精神状態はそこまで悪くない。原始仏教関係の本や聖書なんかをつまみ食いしながら読んでいるためかもしれない。特に原始仏教の方は神秘色が薄く実践哲学といった雰囲気で、処世訓などはとても示唆に富んでいる。時間があれば入門書の次は原典をあたってみたい。

社会というヒエラルキー内での猿山マウンティングバトルに何の意味があるだろう。だから別に就活がうまくいかなかろうが些細なことなのだ。はぁ……

研究の方も全く芳しくない。研究室の雰囲気がゆるふわなので忙殺されて辛いとかいうことは全く無いのだが、うんちテーマのうんち進行状況で進捗報告発表しなければならないのはキツい。毎回、舞台でスベり倒す芸人のような心境になってくる。

「失敗しても諦めず努力し続けた結果最後に身を結んだ」系の美談は巷に溢れているが、その手の話が纏っている挑戦とかチャレンジといった雰囲気は全然無く、ぼくの場合はただただ意味不明にスベり続けているといった感じだ。

宣言:今後は1日8時間だけ研究して後は研究とは関連の無い数学・物理・人文系の勉強とかすることにする。

 

中国雑感

研究の関係で中国に行って発表してきた

東アジアの学生たちが集まっていたのだが、海外勢はみなPh.D.の取得を目指している学生ということもあってか。気合の入った素晴らしいクオリティの発表ばかりだった。ちなみに僕はうんこだった。公開脱糞タイムだった。はあ…。

一方で、日本勢の中でもぼく達と同行したあるドクターの方はガンガン質問やらコミュニケーションやらしていてすげえなあと思った。ホテルではその方と相部屋だったのだが情報技術の進歩とそれらがもたらす僕らの研究分野の未来について熱く語っていただいた。

現地はものすごく発展していて、活気にあふれていた。何枚か写真を撮ったのだが、センスが皆無なせいで活気に溢れている様子を一切伝えられないショボい写真しか撮れてなかった。日本では中国というと色々ととやかく言われがちだが、やはり今の時流に乗って栄えてきているという点は間違いないだろう。学生たちにも街にも圧倒されて帰ってきた。

話がまとまりを欠く……。今回の旅では多量のエネルギーに触れて、自分が生と向き合っていないことへのコンプレックスを大いに刺激された。生に対する根底的な姿勢を改める必要性を感じた。生きながら死なないこと。自分が自分であると認識すること。この命を讃えること。…。

 

真夜中のトロ

人は自分の周りの社会の中で生きているのであって、絶対的な幸福というものは存在しえない。 絶対的な幸福の尺度で生きることができるのは強き者であり…まさに選ばれた聖人と言うべきものである。 偉大な精神を持つ者…ブッダ・キリスト・優れた僧などは皆それができた…孤独であることができ、強者であった。 間違いなく僕の中にはそうしたたもの…絶対的な尺度に基づく孤独な生き方…に対する憧れが存在するのである、、が、 それは単なる幻想なのかもしれない。
今この世界には僕なんかよりももっとずっと不幸な人がいるんだろう。 ただ僕は狭い社会の中でしか生きることができない、周りの人間に自己を制限される弱い人間なんだ。僕は僕が強くないこと…それが悲しい。

深夜にスマートフォンの音声入力で書いた。便利。

タイミングを逃した話

ツイッターでネタにするタイミングを逃したのでブログのほうで文字に起こしてみる

実は今年の9月に睾丸捻転という男の子の病気(?)になっていました。簡単に言うといきなりキンタマが袋の中でねじれて大激痛という状況です。横綱に握りつぶされたのかと勘違いしましたね。夜中で寝ようとウトウトしてたところだったのですが、急にそんな惨状に陥り脂汗をかきながら即病院に行きました。キンタマへの血流が止まってしまっていて、そのままだと片方がだめになるということで即手術で取り出して元に戻してもらいました。先生が手術中にiPhoneで撮ってた袋の中身の写メをみせてもらいましたが、片方がちょっと黒くなってました。こわひ…。元に戻すついでに糸で固定してもらって、これからはねじれることはないそうです。今でも縫った跡がたまに疼くことがあるんですけど、経過観察ですね。

みなさんもキンタマが痛くなったらすぐ救急車呼びましょう。この症状になってから半日も放置したらアウトらしいので…

 

 

不安に対するブッダの考えとぼくの雑感

 いきなりだが、ぼくは常に理由のない漠然とした不安に駆られている。そこにひとたび具体的な対象が与えられると、不安は恐怖や強迫観念に転換して俄然勢いを増していく。これはぼくのどうしようもない性質なのだと、ある種シニカルな諦観を決め込もうとしていたのだが、同時に俗物の自分には完全に諦めきることはできないだろうとも感じていた。

 そんなこんなで悶えるような日々をずっと過ごしているのだが、最近、不安に対する新しい知見を得たので備忘録代わりに記したいと思う。これが誰かの役に立つかは分からない。自分の役に立つのかさえも…

 

 ブッダの言葉に「不安は妄想である」というものがあるそうだ。原義がどのようなものか、どういう訳し方をしたのか、参照元は…など、気にするときりがないが、まあ、その言葉に対してある程度腑に落ちるところがあった。

妄想の精神医学的な定義をいくつか引用すると…

 1.強固に維持される誤った信念である

 2.不正確な推論に基づく

 3.証拠や反証にかかわらず維持される

 どうだろうか。「事実でない」=「まだ起こってもいない」事柄について「訂正不可能」な不安を感じている、というところにぼくが抱く不安と、妄想の共通点を見出して納得した。(というか、精神医学の方に当てはまったならもうそれ病気か?)

 まあとにかく、こういうことを踏まえて、不安に対する対抗策として今ぼくが興味を抱いているのがvipassana瞑想と呼ばれる瞑想法である。vipassanaとはパーリ語で「観察する」という意味で、vipassana瞑想は自分の認識したことをつぶさに観察する瞑想法である。

 これまで「何もしていない」時間が多いと感じていたが、「何もしていない」ことなどありえないとこの瞑想によって気づいた。つまり、息を吸った・息を吐いた・まばたきをした・今一瞬気が散った・服が体に触れるのを感じた・冷蔵庫が唸っているのに気付いた・メガネが重い・手の筋肉が動いた・キーボードからの圧力を感じた……など。

 今まで不安という妄想の彼方に思考が飛んでいたところを、こうした数え切れないほどの客観的観察によって現実という確固たるものに引き戻されている実感が得られた。これを続けてみれば、何か得るものがあるかもしれないと感じた。覚醒して空中浮揚とかできるようになったらまたブログで報告したいと思います。

 

 追記:書いたものを見直したら予想以上に(なに言ってんだこいつやべえ…)感が強かった。そのうち消すかもしれん。

 

発表会に病院送りにされた男

大学の課題の発表会に病院送りにされた

 

……?

 

 ぼくの学科では4年次にグループワークが課されることが昔からの伝統となっており、その過酷さについては、みな学生実験の頃からTAの方々や先生方等より聞き及んでいるところとなっている。その課題について尋ねると、聞く人聞く人が「やー、発表の前は先輩巻き込んで連日徹夜で作業したよ(笑)」などと冗談半分で下級生を脅しにかかるものだから、4年生はビビりまくった状態で研究室に配属されることになる。

 そんな中、ぼくなんかはヒネクレているので(まー、誇張してるだけでしょ。苦労したアピール乙)などと高をくくっていたし、実際てきとーに力を抜きながらやれば特に全然大したことはなかった。インターネットでよく見かけるブラック研究室に比べれば拘束時間も問題にならない感じだった。

 しかしさすがに発表一週間前くらいになると徐々に忙しくなり始め、朝から晩まで研究室にいて家には寝に帰るだけ、という状況になってきた。前々日は3時間睡眠、前日は完徹、という状態でフラフラしながら発表に臨んだ。教授の質疑応答なんかも相手が何言ってるか全くワケワカンナイ状態で適当に流していた。

 そんなこんなで死にかけながら発表を終え、昼休みに研究室に戻ろうとして、気付いたら口の中で唾が全く出なくなっておりそのまま倒れこんで病院に運ばれた。病院では色んな検査をしたが、全部の値が正常だったようで過労と結論付けられた。そのまま点滴をしているといくらか楽になって、帰宅できた。

 やっぱり駄目だよ、根詰めたり頑張ったりなんかしたら。人間っていうのはね、いい加減に流して生きるのが自然で正しいことなんだ、と再認識するに至った。そういう意味でこの経験を糧にしていきたい。

 あと、これからは「あの課題は疲労のあまり病院送りにされた先輩がいるくらいヤバイ」という闇の噂がさらに下級生たちを震え上がらせることになるかもしれないと思うと面白い。

 

 

 

お酒とか、大学とか、世の中の煩わしい事とか

 (今日こそはお酒を飲まないぞ!)と誓ったその日の晩に飲むビールは非常に美味である。この記事も、平日の晩に飲みながら書いている。

 今月中にやらなくてはいけないことは山のようにあるが、一切手を付けずにギリギリまで引っ張っている。ギリギリまで引っ張って、やることといったらぼーっとインターネットをしながらお酒を飲むという有様である。どうしようもない。未来の自分が、際のキワでなんとかしてくれていることを祈るばかりである。

 最近はとても寒いので、追加のお酒をコンビニに買いに行くのが億劫で家にウィスキーを常備している。最初は(飲むならこの不味い酒だ。どうだアルコールというのものは不味いだろうぼくの体よ)と、さらなる飲酒を抑制するためにウィスキーを利用していたのだが、どうも最近、なんとなくウィスキーも美味しいんじゃないかと思えるようになってきた。好きな物が増えるのはいいことだ。

 ここまで読むとぼくが酒好きでどうしようもないやつのように思えてくるが、別にそんなことはない。何もやりたくないから酒を飲んでいるのである。…やっぱりどうしようもないやつなのかもしれない。

大学とか、世の中の煩わしいこととかについて書こうと思っていたが、そんなことはどうでもよくなってきた。

 普通の時にはランダム再生で流れてきたら飛ばすような曲が、なぜだか泥酔しているときは涙を流すほど感動することもある。そういう種類のことが、結構人生の楽しみになっている。そんな感じである(どんな感じだ?)。