人生実質クリア論

いつものようにツイッターで適当に発言した人生実質クリア宣言だが、案外ふだん自分の考えていることにしっくりきたような気がするのでまとめる。

ここでいう人生とは一般的な意味でいう人生であり、端的にいうと社会的成功を求めるゲームである。ぼくは意識していなくてもこのゲームに多くを求めすぎる傾向があった。例えば成績、学歴、容姿、女性、就職、収入、役職……これらは社会の中で競争の対象とされている。皆が狙っているからこそ得辛く、価値が高まり、得られたときの快感は大きく、得られなかったときの落胆も大きい。今持っているものや将来当然得られるだろうと期待していたものが失われるのではないかという不安も始末が悪い。

一般的な意味でいう人生は年齢とともに延々とアップデートが続けられるネトゲみたいなものだろう。しかもネトゲのように終わりがない上に、別に楽しいわけでもなく苦しみが多い。ゲームのたとえで言うと、RPGなんかでは最強武器をゲットした時点でクリアとする人もいれば、雑魚武器も全部コンプするまで続ける人もいるだろう。ここでゲームをクリアした人はどうするか。次のゲームをする。ぼくはプレイしていてもあまり益があるとはいえないような人生を「20年生存」でひとまず実質クリアとし、次のゲームをしたいと思う。心が安らぐようなゲームを。何か辛いことがあったら人生を実質クリアしていることを思い出そう。前のゲームなんかにムキになる必要ないぞ。